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アイヌ共有財産問題を考える

連載 「自由」で「不自由」な社会を読み解く 第10回

『しゃりばり』20051月号. No.275. pp.60-61.

橋本努

 

 

1.アイヌ人の共有財産問題

 北海道という大地は、もともとアイヌ人たちが暮らす生活の場(アイヌ・モシリ)としてあった。しかしそれが歴史の中で和人たちの手に渡り、あるいは略奪されてきたという経緯がある。近代において確立された「自由権的基本権」に照らした場合、北海道の土地は、必ずしも正当化しえない理由によって開発されてきたのであり、アイヌの人々の私的所有権は、十分に保護されたとは言いがたい。アイヌ人にとって、私的財産権の自由という理念は、他にもまして歴史的な重みを持っている。この問題について考えるとき、前回論じた「二風谷ダム」問題と並んで重要なのが、「アイヌ共有財産裁判」と呼ばれる訴訟である。今回はこの裁判について、検討してみたい(本裁判の内容は、小笠原信之著『アイヌ共有財産裁判』緑風出版、2004年を参照)。

 いまから約百年前のことである。和人たちは、アイヌ人たちの狩猟生活を蔑視しつつも、他方では、彼らをなんとかして農耕社会と貨幣経済の中に包摂しようと考えていた。そこで当時の和人たちは、自分たちが「アイヌ人の土地やお金を管理して、これを殖やしてあげよう、そして殖やしたお金で、アイヌ人のための農耕器具や教育費を捻出してあげよう」と申し出て、アイヌ人たちの共有財産を借り上げることにした。これが「旧土人保護法」(略して「旧土法」)によるアイヌ人管理の始まりである。この一見すると親切な提案は、結果として当時のアイヌ人たちに大きな被害を与えることになったが、それに対する補償は、歴史の中で有耶無耶にされてきた。ところが1997年になって、和人によるアイヌ共有財産の管理の杜撰さが、改めて明るみに出ることになった。というのも北海道庁は、「旧土法」の廃止に伴い、これまで預かっていたアイヌ人たちの共有財産を返還することにしたからである。

 

2.財産返還の難しさ

 1997年に制定された「アイヌ文化振興法」の附則第三条は、国が「旧土法」で預かっていたアイヌ人たちの共有財産を返却すべきことを定めている。この法律に従って、北海道庁は、これまで預かっていたお金を返還することにした。といっても、借りたお金は百年前のことであるから、市町村には貸借に関する帳簿がほとんど残っていない。しかし幸いなことに、銀行には預金通帳がいくつか残っているので、そこに記載されているお金は返還することができる。道が調査したところ、残っているデータは全部で26件(明治36年から昭和18年までのデータ)、返還額の合計は、当時の金額にして147万円であるという。このデータはアイヌ人の共有財産のごく一部にすぎないが、道庁としては、これをとにかく返還したいというのである。

 預かっていたお金を返還するといっても、いったい誰にお金を返却するのか、という問題がある。百年前にお金を預けたアイヌ人たちはもう存命せず、その子孫たちはすでに散らばっている。そこで道庁は、次のような広告を新聞やインターネットのHPに掲載して、該当すると思われるアイヌ人たちに、お金を取りに来てもらうことにした。199710月以降、道庁は5回に亘って、次のような内容の広告を北海道内の新聞各紙に載せている(北海道内で発行された新聞『北海道新聞』『北海タイムス』『朝日新聞』『毎日新聞』『読売新聞』に、それぞれ掲載された)。

「『北海道旧土人保護法に基づく共有財産』の返還手続きについて:道では、北海道旧土人保護法が廃止されたことに伴い、これまで知事が管理していた共有財産の返還手続きを行っています。受付期間:平成1094日金まで。対象となる共有財産の区分と金額:1.河西郡芽室村旧土人共有 63,095円、…」。

この広告は、一読したかぎりではよく分からないが、およそ次のようなことを伝えようとしている。すなわち、「道庁は、百年前のアイヌ人たちから預かっていた共有財産を、これからアイヌ人の子孫たちに返却しますので、受け取る権利があると思う人は、証拠となる書類をそろえて、いまから一年以内に名乗り出てください」というわけである。

しかしはたして、この新聞広告は、アイヌ人たちに十分な情報を伝えたのであろうか。かりに伝えたとしても、他にも問題はある。この百年間で、物価は桁外れに上昇したはずなのに、それを正当に計算しないで当時の金額のみを公示し、そして返還するというのは、どういうことであろうか。また、26件だけしかデータが残っていないというのも、にわかには納得しがたい。あるいは、申し出た人だけに共有財産を返すというのは、不公平な扱いにならないだろうか。戸籍データは国が管理しているのだから、だれが受け取る資格があるかという認定は、国で調査すべきではないか。「一年以内」という期限付きの返還は、あまりに短すぎないか。「旧土法」にもとづくアイヌ共有財産の管理が杜撰であったことについて、政府は何らかの補償をすべきではないか。共有財産の返還は、本来であれば土地そのものを返還すべきではないか。等々。このように、疑問はいろいろと湧いてくる。

 

3.うまく返還できない場合

残念なことに、アイヌの共有財産であった土地は、1952年までにすべて処分を終えて、いまは銀行預金口座に現金があるだけだという。では、道庁がこの残された現金を返還すれば問題は解決されるのかというと、そうではないだろう。「旧土法」のもとで道庁は、アイヌ民族のために財産の管理を委ねられてきたのであり、その杜撰な管理は、憲法第291項の財産権の規定(とりわけ「善意の管理者の注意義務」)に反している。そして実際、裁判ではこの問題が中心的な争点となっている。

加えてこの裁判の背景には、百年余にわたるアイヌ人同化政策という重い歴史がある。原告側が求めているのは、たんなる財産権の補償ではなく、この裁判を通じて、同化政策がもたらしたアイヌ人差別の実態を現代の人々に伝えることであり、そしてその実態についての理解を礎として、和人たちとの関係を社会的・文化的に修復することに他ならない。言いかえれば本裁判では、アイヌ人と和人のあいだの「関係修復的正義」が求められているのである。すでにアメリカでは、ハワイ原住民に対する補償(例えば教育費の補償)の議論が進められている。日本においてもこうした事例を参考にして、多文化主義の観点から総合的な解決を図ることが望まれよう。諸々の事情から財産権が十分に補償されない場合には、住宅・福祉・コミュニティに対する支援や、歴史教育・言語教育に対する支援などが、その代替となりうる。所有権を奪われた先住民族にとって、自由とは、歴史に対する「関係修復的な理解」を基礎にしているのであり、私たちはそのような理解をふまえて、自由な社会を築いていかねばならない。